英検2級の二次試験を受けてきた
昨日、英検2級の二次試験を受けてきた。
42歳のおじさんが、30歳くらいの美人な面接官の前でカタコトの英語をしゃべっている姿なんて滑稽すぎて何とも言えませんな。
大学受験以来23年間ほったらかしにしていた英語だったけど、何を思ったか一昨年の10月からNHKラジオ講座を聞き始め、英語学習沼にはまってしまったのです。
(今は「ラジオ英会話」がはやりのウイルス以上に猛威を振るっていますが、いい意味で。)
その流れで、(一応、高校も卒業しているし)英検2級を受けようと思い始めました。
一次試験はこれといった準備もしていません(過去問をサラッと見た程度)でしたが、9割以上はできていたので、舐めまくって臨んだ二次試験…
<敗因は以下の通りです(人のせいにしまくり)>
・コロナウイルスの影響で前日の夕方に会場の変更があった
・当日の朝に攻略本を見ていたら、「なんだこれは!!」状態になってしまった。
・実際の試験では、最初の単語から読み間違えた
・準備不足のせいで自分でも何を言っているかわからなくなってしまった…
・攻略本の付属DVDの面接官はおっさんだったのに、めっちゃ美人な面接官が出てきて頭の中真っ白だった
・そもそも、日本語でも回答できないようなことを英語でアドリブで言えるわけない
残り少ない人生です。
次回頑張ります。次。
日記 5/26
昨日、スーパーで、金髪の小学生が中学生に虐められていたので止めようとしたら、金髪の全身タトゥーの母親がタバコを吸いながら中学生を恫喝して止めさせる現場に遭遇して、ここは自分の住む『世界』では無いと思ったけど、タマネギを買って帰った。(5/26)
セーフティアセッサのテストを受けてきた。【玉砕】
こんにちは。お久しぶりです。
(誰に挨拶してんねん)
うーん。問題用紙12枚で解答用紙8枚(くらいだったはず)で設問が20問で各設問に2,3個は50文字or100文字以内で記述せよ、語句群から選択せよが200問くらい…みたいな問題を見た途端、目の前が真っ暗になりました。
やっぱり、機械安全の専門でもない人間が、1ケ月くらいの勉強期間でテストに臨もうなんて言うのは、運動靴で富士山登山するようなものなんです。と言うことがわかりました。
自分の再テストのために傾向をメモしておくと、
□要求事項が何個かある奴は記述問題が出るから覚えること
(例)電源断路器・非常停止スイッチの要求項目など
□公式関係は必ず暗記すること、計算問題は何度も解いておくこと
(例)MTTFd、ライトカーテンなど
□特殊な記号は覚えておくこと
(例)二重絶縁、保護ボンディングなど
□機能安全のパフォーマンスレベルを求めるためのブロック図は回路から落とし込めるようにしておくこと
□その他、基本的にISO12100やIEC60204-1で要求される項目は丸暗記しておくこと
□リスクアセスメントの手法、3ステップメソッドは何のために行われるのか、どのタイミングでおこなわれるのか、体系的に覚えて、説明できるようにすること
あぁ、、諸先輩に過去問を教えてもらうべきだった…
【8月号】会社サボって淡路島に行ってきた話
こんにちは。おひさ。(誰に挨拶してるんだろ)
暑いし、仕事行きたくなくなる時、会社の最寄りの駅で電車を降りるのをやめてしまい、乗り続けてみました。
神戸を越えると、海が見えて気持ちいいですねぇ!!
明石駅で降りてふらふら歩くと、なんとフェリー乗り場があるじゃないですか!!
片道500円!!これは乗らなきゃ損だろ!!
会社サボって海なんて、サイコー!!
まあ、淡路島では特にやることが無いから、とんぼ返りしてきましたけどね。
(その時のツイッター)
会社サボって船に乗ってる。
— コロッケそば🐷 (@eye____eye) July 25, 2018
気持ちいい♪ pic.twitter.com/pQ3MODrfWp
のんびり明石焼きを食べて帰ってきましたとさ。
やっぱり、仕事行きたくない時は行かなくて正解。
【7月号】FaceBookの友達を断舎利
おいらの41歳の誕生日に、FaceBookが巨額の損失を出したとか出さないとか。
昨年冬くらいから息子の中学受験勉強を見始めたくらいから、会社と家の往復だけという半引きこもり生活が始まって以来、FaceBookを見ることor投稿することが無くなってしまい、5月にFaceBookを完全に退会(?)しました。
2011年くらいにTV番組でその存在を知って登録して以降、おおよそ400人くらいの友達と再会したのです。
「友達」はざっと、以下のとおりです。
①高校の同級生&先輩
⇒懐かしい友達や憧れの先輩に出会えてよかったよ~
実際に会ったりして、とても楽しかった
やっぱり、一生懸命頑張った時の仲間達だから話が合うよ
②小中の同級生
⇒懐かしい友達なんだけど、なんかマイルドヤンキーみたいな…
自分のテリトリーで頑張っている奴らばかりで視野が狭いのが多いからヤダ
③大学の同級生
⇒何人か友達になったけど、みんなあんまりupしてなかったのかな。
1人、自分で起業してガンガンやってる建築家の人がいて憧れてた(Nクン)
④職場の人
⇒どこから見つけてきたのか知らないけど友達申請断りきれず
⑤バレーのチームの人
⇒いい奴から悪い奴までいろんな奴がいる。
まあ、ほぼ毎週会ってるし、そこまでプライベートな付き合いはないから、
SNSでつながる必要はないんだよね。
⑥某政治塾に通っていた時の人
⇒政治家目指して某政治塾に通っていた時の同期達
まあ、世の中にはいろんな考え方があることを知りましたわ。
総じて、文句だけしか言わない左寄りのクズみたいなやつが多かった。
何人かは既に政治家になっています。
(いい人もたくさんいたよ。)
⑦野球観戦仲間
⇒ほとんどが球場で知り合った人たち
現場仲間だから情報が濃いし楽しい。
⑧ジム仲間
⇒ジムで出来た友達やインストラクターなど。
インストラクターなんて完全に宣伝だし、シンパが多くて嫌気がさすし、
ジム友もそんなにプライベートな付き合いは無かったし。
⑨飲み仲間
⇒居酒屋で知り合った人たち。いいひとばかり。
ただ、居酒屋上の付き合いでいたいよね。
と言うことで、一旦、退会することによって友達を断舎利しました!!
でも、もったいないから、アップした写真は全て保存しといたけどね。
それから、最近、再登録して①⑤⑦⑨の人畜無害の数人と友達になりました。
気分が楽になりました。
SNS断舎利も必要ですな。
(ほとんど、Twitterしかしてないけど)
【夏休特別号】自由研究~急行きたぐにの研究~
2013年に廃止された急行きたぐにの写真が出てきたので、思い出を語ります。
1996年3月に高校を卒業して、名古屋の大学に入り、実家を離れる際に乗ったのが急行「きたぐに」の自由席でした。
それ以来、名古屋⇔新潟の往復は急行きたぐにを使いました。(米原乗換)
社会人になって滋賀に住み、少しお金に余裕が出てきてからは寝台車を使用するようになりました。
上の写真はB寝台車です。(たぶん、B寝台しかなかったはず)
たしか、中段が一番安かったので、中段or上段ばかり使用していた記憶があります。
↑
これは上段の写真かな?
↑
カーテンを閉めた状態で通気用の窓を開けた状態を中から見た様子。
世はネット社会なので、いつのころからかは通称「パン下」と呼ばれる、パンタグラフ下の中段に乗るようになりました。
これね。
↓
12月31日にバイトが終わってから、きたぐにに乗って帰省する時、朝一番の車内放送が粋だった思い出があります。
世には葬式鉄とかいうくだらない趣味がありますが、そういうのではなくて、この電車のラストランだけは近くの駅に見に行ったなぁ。。
俺と故郷を結ぶ唯一の列車だったから、思い入れは深かった。
まあ、詳しいこと・正確な情報はwikipediaなどで調べてね。
向日町の車庫で眠るきたぐに。